ルーレット・ホイール

ルーレット・ホイール

※8月19日早朝時の仏バゼーヌ軍○仏第2軍団(要塞守備のラヴォークペ師団を除く)・軍団本隊 サン=カンタン山(メッス大聖堂の西4キロ)南斜面及び東南斜面に布陣・ラパセ旅団(本来第5軍団)後衛となりムーラン(=レ=メッス

同西南西5キロ)方面で戦闘後、ロンジュヴィル(=レ=メッス

メッス西郊外モーゼル東岸縁)対岸付近まで後退○仏第3軍団プラップヴィル分派堡塁の西側斜面まで後退○仏第4軍団ロリ=レ=メッス付近の高地上まで後退○第6軍団・バライユ騎兵師団モーゼル分派堡塁(メッス大聖堂の北西1.2キロにありましたが現存しません)の北、ヴォワピーの南郊外まで後退○仏近衛軍団プラップヴィル堡塁の東斜面に布陣○フォルト騎兵師団ロンジュヴィル付近に待機○軍予備砲兵隊ル=バン=サン=マルタン(メッス大聖堂の西2キロ)付近に集合○軍本営ル=バン=サン=マルタン在 これら軍団や師団から派出された前哨は、戦線左翼(南)から右翼(北)へ、スシー(=シャゼル)~レシー~ロリ(=レ=メッス

プラップヴィルの北北西1.4キロ)~ヴォワピーの線上にありました

あなたも好きかも:スロット セミ
 8月20日

あなたも好きかも:スロット ピラミッド
仏軍は更に後退し、第3軍団の前哨はロリから、本隊はプラップヴィルとサン=カンタン両堡塁からその東側斜面下へ、第4軍団左翼はティニヨモン(プラップヴィルの北西400m)へ、近衛軍団はサン=マルタンまで、フォルト騎兵師団はシャンビエール島(メッス市街北にある大きな川中島)までそれぞれ下がっています

 独軍が直ぐには攻撃して来ないと判明する22日には、第3軍団の全てがモーゼルを渡河して東岸へ渡り、それまでラヴォークペ師団と若干の要塞守備隊のみで警戒していたメッス東側の防衛線が独「マイントイフェル軍」に対抗出来るまでの規模となりました

 25日には近衛軍団から騎兵師団が離れてシャンビエール島へ渡り、フォルト騎兵師団と合同し近衛騎兵師団長のデヴォー少将が率いる「集成騎兵集団」となりました

 この10日間でほぼ1個軍団が消えるほど(戦傷死者・行方不明約33,000名)の大損害を受けたバゼーヌ軍(但し、独軍もまたほぼ同数の損害を受けています)でしたが、グラヴロット会戦から8月下旬に掛けて、戦場で迷子になった多くの行方不明者が所属部隊に復帰を果たし、軽傷や病気で入院していた者も大半が原隊に復帰します

 砲兵が全てキャンプ・シャロンに残留し「シャロン軍」に参加してしまった第6軍団は、メッス要塞の備蓄野砲を使用して砲兵4個中隊を編成し軍団砲兵隊を再興しました

 また、各軍団は包囲下にあることを考慮した軍本営の意向により、「特殊な任務に用いる」特別部隊の編成を命じられ、歩兵各連隊はその1個中隊を「パルチザン中隊」とし、騎兵連隊はその1個小隊を「エクレルール小隊」とするのでした(パルチザンは有名なので訳すまでもなく、エクレルールは「発掘」=「捜索」とでも訳す方が理解し易いかと思います)

 バゼーヌ軍本営は三会戦で消費した銃砲弾薬の補充を最優先課題として尽力し、8月22日には早くも各野砲兵中隊と軍団弾薬縦列の砲弾と弾薬が定数分充足されています

前後して各歩兵連隊にも小銃弾が補充され、その個人携行弾薬と連隊携行弾薬はシャスポー1挺につき140発となり、これは「もう一会戦戦えるほど」の十分な数と言えます